こんにちわ。
時計工房ブログ・本日の内容はクォーツショック。

・・・・・・・

クオーツショック
なんのこっちゃと思われた方も多くいらっしゃると思います。マニアックな内容で申し訳ありません。でもこれ、時計業界に携わる人なら1度は耳にしたことがある、とても大きな出来事なのです。

1969年 年の瀬も近い12月25日
SEIKOが発売した世界初の市販クォーツ腕時計「アストロン」
それまでの腕時計といえば…ゼンマイで動く機械式時計。ゼンマイ巻上後の持続時間は約30時間。精度はクロノメーター規格の物でも平均日差=-5~+8秒ほど。しかしこのアストロンは銀電池で1年以上駆動。月差でも±3秒以内という、前代未聞の高精度。
圧倒的なスペックです。

アストロンの画像

大卒・初任給、公務員上級の給与が31000円だった1969年。 定価はなんと45万円。当時42万円だった大衆車「トヨタ・カローラ」よりも高価でした。その後SEIKOが特許を公開。特許を公開後、クォーツ腕時計の低価格化が進み、かつては高級品であった腕時計が、子供でも買うことのできるような身近な商品へと変貌し、市場を席巻しました。
そうです…この一連の流れが、クォーツショックなのです。

クォーツショックによって各世界の時計ブランドのほとんどが大きな打撃を受けます。
スイスの時計業界は、ピーク時の1970年頃は世界市場の42%を占め、1620社もあったそうですが、、1980年代末には570社、つまり約3分の1にまで激減し、1985年には、スイスのシェアは6%、日本は23%、香港は47%と大きく変化しました。(ベンチマーキング入門 高梨智弘 生産性出版2006年5月)
しかし、1980年代に入ると、スイス製の高級機械式腕時計の人気は徐々に復活していきます。精度や持続時間ではクォーツ時計には及びませんが、熟練工によって作りあげられた技術が再評価され始めるのです。

クォーツショックがあったことで機械式時計はムーブメントの製造すら大きく変わることとなりました。

メーカー各社の再編成があり、また淘汰される専門メーカーもありました。
結果として、スイスの大手ETA社が設備を自動化しパーツを大量生産したムーブメントがシェアを拡大しています。
ETA社のムーブメントに頼らず、自社で開発、製造、組立、仕上までを行うメーカーは「マニュファクチュール」と呼ばれ特別な存在のようです。

クォーツ腕時計発売から45年。
そんな激動の時代を生き残ったメーカーから目が離せませんね。

それでは、今日はこの辺で。